2010-01-01から1年間の記事一覧
人間なんて、 頼りないことを知った。 ろくでもないことを知った。 だからこそ、 いとおしくてたまらないことを知った。
あなたの心にある地雷を撤去しなければ、 いつまでたっても、 それを踏んだ誰かを傷つけるし、 そのことで自分も傷つく。
人と出会うのも縁。 人と別れるのも縁。
愛する人と関わるのは難しいね。 どんなに好きでも、あなたは私じゃない。
初心は設計図。 ときどき広げてみるのは大事だが、 現況にそぐわない問題点があるのなら、 どんどん修正すべきだろう。
受け入れるということは、 掴んでいる手を放しても、 失わないと知ること。
運も金も愛も、常に世界を巡っている。 手に入らないのは、欲しがっているだけで、 その激流に手を突っ込まないからだ。
自分の意見とか自分の考えとして主張しているものの大半は、 何かへの不満とか誰かへの文句である。
まわり中、落とし穴だらけに思えるなら、 穴を掘ったヤツを恨んでないで、 自分で穴を埋めたらいいんじゃない?
私のことをわかってほしいと言うことは、 あなたのことがわかっていないということだ。
反応ではなく、表現できることが、生きることの醍醐味なんだ
人という容れ物は、万能な宇宙のエネルギーをすべて注ぎ込めるほど有能じゃない。 むしろ有能じゃないことが、人であることの有益なところなんだろう。
『限界』という高い壁は、 『不安』という脆いレンガで出来ている。
「絶対に、なにひとつうまくいくわけがない」なんて、他人の呪いの言葉にはまるなよ。 あなたの人生の価値を決められるのは、あなただけだ。
誰だって、ずるくていやな部分もあるけど、 そんな火種があることを自覚しつつも、 そこに薪をくべない。それが意志の力だ。
私がわかった答えは、私だけの答えかもしれないけれど、 こんなにも広い世界のたくさんの人の中に、 『そのヒントが知りたかったんだ!!』 って思う人がいるかもしれないから、今日も書く。
あなたの手 あなたの唇 あなたの身体 九九を覚えるように 繰り返し 繰り返し 私に刷りこんでゆく
隅から隅まで大好きだと言えなくても、 あなたの日常を愛する努力を怠らないでいよう。
呪いの言葉は怖れの言葉。 怖れに共感したときに、呪いは解ける。
相手の期待に自分をまとめあげて差し出すのって、 その場は楽で双方ご機嫌なんだけど、 結局後でガッカリされて、 ちゃぶ台返しをする羽目になる。
「許せないから嫌いになる」んじゃなくて、 「嫌いだから許せなくなる」のだ。 だからと言って、 「好きなら許せるはず」とか 「好きなら許してくれるはず」とか それはないから。
あなたと私! この二人でしか到達できない深みへ降りて行こう。 才能という魔法さえ使う必要がない極みへ静かに沈んで行こう。
「愛をくれ」と言うなら、まず、 それを掬う底の抜けた柄杓と、 それを溜める割れた瓶を なんとかしたまえ!
愛を知らない人というのは、 愛することをケチることが、 どれだけまわりの人間をさもしくするかということに、 気づいていない人のことだ。
目の前の人が言うきつい言葉は、自分の余分を削ぎ落とす尖った刃物だ。 言い訳の盾を持たず、腐った性根に突き刺してしまえ。
嫌なことを実行しなければならないとき、一番ストレスになるのは、文句を言いながら(思いながら)それをやることだ。やるなら黙ってやる。やるのが嫌なら絶対にやらない。それが自分にやさしいってことだよ。
あなたを愛しているときが、 一番、自由を感じる。
自分を好きになれないのは、 心に『開かずの間』があるからだ。 怖がってないで、開けてごらん。 閉ざしたときには怖かったとしても、 今ならもう、充分対処できるから。
あなたが大きく切りつけていった傷から、 やさしい芽が芽吹いた。 私が大きく切りつけてしまった傷からも、 たおやかな芽は芽吹いただろうか?
心には核がある。溶けるような恋をしても、燃え尽きるような仕事をしても、壊れそうなほど世界とうまくいかなくても、それだけは残るのだ。だから心配するな。溶けて燃えて壊れるものなど、削ぎ落してしまえばいい。