2010-06-01から1ヶ月間の記事一覧
呪いの言葉は怖れの言葉。 怖れに共感したときに、呪いは解ける。
相手の期待に自分をまとめあげて差し出すのって、 その場は楽で双方ご機嫌なんだけど、 結局後でガッカリされて、 ちゃぶ台返しをする羽目になる。
「許せないから嫌いになる」んじゃなくて、 「嫌いだから許せなくなる」のだ。 だからと言って、 「好きなら許せるはず」とか 「好きなら許してくれるはず」とか それはないから。
あなたと私! この二人でしか到達できない深みへ降りて行こう。 才能という魔法さえ使う必要がない極みへ静かに沈んで行こう。
「愛をくれ」と言うなら、まず、 それを掬う底の抜けた柄杓と、 それを溜める割れた瓶を なんとかしたまえ!
愛を知らない人というのは、 愛することをケチることが、 どれだけまわりの人間をさもしくするかということに、 気づいていない人のことだ。
目の前の人が言うきつい言葉は、自分の余分を削ぎ落とす尖った刃物だ。 言い訳の盾を持たず、腐った性根に突き刺してしまえ。
嫌なことを実行しなければならないとき、一番ストレスになるのは、文句を言いながら(思いながら)それをやることだ。やるなら黙ってやる。やるのが嫌なら絶対にやらない。それが自分にやさしいってことだよ。
あなたを愛しているときが、 一番、自由を感じる。
自分を好きになれないのは、 心に『開かずの間』があるからだ。 怖がってないで、開けてごらん。 閉ざしたときには怖かったとしても、 今ならもう、充分対処できるから。
あなたが大きく切りつけていった傷から、 やさしい芽が芽吹いた。 私が大きく切りつけてしまった傷からも、 たおやかな芽は芽吹いただろうか?
心には核がある。溶けるような恋をしても、燃え尽きるような仕事をしても、壊れそうなほど世界とうまくいかなくても、それだけは残るのだ。だから心配するな。溶けて燃えて壊れるものなど、削ぎ落してしまえばいい。
『聴く耳』という機能は、頭を垂れないと起動しない。
人のろくでもなさを許せることが、 人として生まれてきたことの すべてではないかと思う。
夢をあきらめるということは、現実もあきらめるということだ。 現実という土台の上に、夢は立ちあがり具現化されるのだから。 今、できることに心を尽くせ。
「あそこの会社のおばさんがさ」なんて男の人の会話に、 「ねえ、その『おばさん』っていくつ?」ってきくと、 たいがい自分と同じくらいだったりする。 みんな面と向かって言わないだけなんだね。
本当はなにを伝えたいんだろう? 本当に伝えたい言葉なら届くはずだ。 そもそも本当に届く言葉でなければ、 伝えたいとは思わないはずだ。
親切すぎてうっとおしいのは「ワードさん」 頭が良すぎて融通が効かないのは「エクセルさん」